Wings
(2008)
(2008)
(2008)
(2008)
(2008)
15th AW
C-17AグローブマスターVが、ハワイのヒッカム空軍基地にも配備され エルメンドルフのC-17A部隊とともに 我々に比較的身近なC-17飛行隊が2つとなった。太平洋の真ん中ハワイのオワフ島に配備された部隊のため PACAFに属す第15空輸航空団 (2003年に第13航空団に改称)とハワイ州空軍の第154航空団の両方の仕事を行うC-17Aの部隊である。所謂 文字通り”二足のわらじを履く”C-17輸送機が ハワイに駐留しているわけだ。以前であれば輸送専門の組織MACで 両方の任務をこなしていただろうが 組織の変更で同じヒッカムに居ながらPACAFに属して州空軍の輸送業務を担当しないのも 不合理であり その反対もしかりである。そこで C-17Aというアメリカ空軍機体の新鋭機にはこの二つの組織の役割を負わせたわけで これはこれで合理的かもしれない。2年連続して 横田ABに展示されたハワイからの来客を紹介しよう。
尾翼のラインは、昔からハワイの州空軍の機体に描かれていた ハワイの波と火山をデザインしたライン。”HH”のレターは、F-15やKC-135の時代から使われ始めたが ハワイ・ヒッカムを現す。右は、胴体に描かれたANGとPACAFのマーク。
上の嘉手納から 日本最北の米空軍基地三沢に場所を移し 三沢に飛来したC-17Aをワンショット。2009年10月18日 三沢の公開時に展示された機体で 二つ上の写真と同じ”55147” こうしてみるとC-17Aは、実にシャープなイメージを感じる輸送機である。
2012年8月18日 横田基地オープンでもう常連として展示されるようになったハワイ・ヒッカム空軍基地からのお客様C-17A。今年も乗員の多くは 我々と同じ血筋を引く日系のクルー達である。
機首に書かれた”二足の草鞋履いてます”表示・・・州空軍と太平洋航空軍団PACAFの2つの飛行隊に所属し 両方が使える機体と言う考え方は、従来の軍隊ではあまり見られなかった方式、とっても合理的であるが その昔はMACと言う輸送航空軍団が存在していたので どちらの部隊の輸送業務も請け負えた訳で 米空軍ですらC-17のような高価な機体をふんだんに揃えられない時代の背景もある。
 B-2Aステルス爆撃機のようであるが 機体には”SPIRIT OF KAMEHAMEHA" の個別機体ネームが書かれていた。また 中央に”IMUA”と書かれているが、ハワイアンミュージックに良く出てくる単語で、ハワイの言葉で”前に”と言う意味らしい。1998年だったか沖縄を訪問し、ホワイトビーチで見かけた老トル原子力潜水艦カメハメハのモットーも"IMUA"だった。後に引くな前に前に前進あるのみと言った意思を表すのだろう。カ・メハメハ大王は、ご存知18世紀後半から19世紀に掛けハワイに君臨した国王である。初めてイギリスなどの西洋諸国から武器などを購入し、西洋式軍隊を育成した上でハワイを統一していることから 先進的な指導者であったことがわかる。
(Aug. 2008)
(Mar. 2008) 10:47
2009年3月9日10:45 嘉手納に飛来した15th AWのC-17A この時は曇っていたが この後すぐ大雨となる。
あれ?よく確認したらこのC-17Aは、尾翼しか撮ってませんでした・・・全景が撮れないと後で撮ろうなんて考えて 忘れてしまったいい事例である。2009年8月22日横田基地のオープン時展示された機体、翼の下で長い時間暑さを回避しておりました大変お世話になった機体です。
2011/10 韓国オーサンに展示されたC-17A/05-5149、HHレターのC-17Aは、05-5146が受領1号機であるので この機体は15thAWが 5146、5147、5148に次いで4番目に受領した機体である。
左から ササキ君とオカムラ君なのだ、勇敢だったハワイ日系2世達の末裔たちである  ウエルカム・ジャパン!!!
機体のニックネームは、”Go for Broke"・・・これは直訳すれば「打ち砕け!」なのであるが この部隊の機体にこのニックネームが付けられているのには どうも意味がありそうである。
 第二次大戦中のハワイでは、日系2世達が差別を受け苦労した、志願してアメリカ兵としてヨーロッパ戦線に向かった彼らは、残された家族たちを迫害と差別から解放するため アメリカへの忠誠を形で見せる方法を取った。志願兵となって命を張って戦線で勇猛果敢に戦い アメリカ陸軍史上でも稀なる戦果を上げたのである。特に 1943年イタリアのモンテ・カッシーノにおいて日系人だけで構成される第100大隊の活躍からスタートするのであるが、ドイツ最精鋭の第一降下猟兵師団を相手に何と97%の死傷率を出しながら 退却に追い込んだ。その後も442連隊として ヨーロッパ戦線で最強の勇気と不屈の精神で活躍し 最後にはトルーマン大統領から「彼らを差別したのは アメリカの最大の汚点である」と言わしめた。彼ら 第442連隊の合言葉が”Go for Broke"。彼らは、完全なるアメリカ市民であるが 我々 同じ血を引く日本人としても 彼らの歴史を誇らしく感じる。日系人の多い部隊の機体に付けられた名前は、多分この歴史が関係している。 
HOME
NEXT
click here